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2008.11.04

untitled

「私はある場所とある不思議な時を覚えている。その頃は日も月も今よりもっと明るく大きかった。それがこの世のことであったか、もっと前の世のことであったかは定かでない。ただはっきりと分っているのは、空がもっともっと青かったこと、そして大地に近かったこと ー赤道直下の夏に向けて港を出てゆく汽船のマストのすぐ上に空があるかと思われた。海は生きていて、言葉を語ったー 風は体に触れると、私を歓びの余り叫びたい思いに駆り立てた。他にも一、二度、山間で過ごした聖らかな日々に、そんな風が頬を打ったような思いにほんの束の間誘われたことがあるー だがそれとてただの記憶に過ぎない。
 そこでは雲もまた不思議であった。およそ何と呼んでいいやら分からぬ色をしていて、私を激しい渇望に駆り立てた。更にまた私は思い出す、一日一日がこの頃よりずっと長かったことを。また、毎日毎日が私には新しい驚きと新しい歓びの連続だったことを。そしてその国と時間とをやさしく統べる人がいて、その人はひたすら私の幸福だけを願っていた。時に私は幸福になるのを拒むことがあった。すると決ってその人は心を痛めた。聖なる人であったのに。それで私は努めて後悔の色を示そうとしたことを覚えている。昼が過ぎて月が出る前のたそがれ時、大いなる静寂が大地を領すると、その人は色々なお話をきかせてくれた、頭のてっぺんから足のつま先まで嬉しさでぞくぞくするようなお話を。それからも沢山物語を聞く機会があったが、それも皆美しさにおいて、その人のお話の半ばにも及ばない。嬉しさがこらえ切れなくなると、その人は不思議な短い歌を歌ってくれた。それが決って眠りへ誘う歌だった。遂に別離の日がやってきた。その人は泣き、いつかくれたお守りのお話をした。決して決してなくしてはいけない、それさえあればいつまでも年はとらず、帰る力が得られるからと言った。しかし私は一度も帰ることをしなかった。年が過ぎ、ある日ふと気づいてみたら、お守りはなくなっていて、私は愚かしい齢を重ねているのだった。」

小泉八雲『夏の日の夢』より
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