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2007.10.05

『老師と少年』



私とは誰か?という
生きる上での根本的な問いにぶつかってしまった少年が
夜ごと老師を訪ねる。
老師と少年の、九夜にわたる問答。

抜粋:

「人はここで間違う。何かが欠けるのではない、ただ欠けるのだ」
「では、何を探すのです」
「ただ欠ける。だから、ただ探す」

今まで僕は、欠けたのならば、
その破片があって当たり前だと思っていました。
同じ様に、問いがあるのなら、
それに対する答えがあって当然だとも。
でも、どうやらそんなに単純なものばかりではないらしい。

自らの存在根拠を問うことに対し、老師は「断念せよ」と言います。
その問いに答えを出すことを、断念せよと。
なぜなら「答えが問いを誤らせるからだ」と。

即席の答えで満足するくらいなら、
いっそ問い続け、迷い続けた方がいいのかも知れません。
答えのない問い、答えるべきではない問いも
あるのかも知れません。

ここ数日間で何度か読んでいるのですが、
もっともっと深い。
まとまったら、また書きたいと思います。
この記事へのコメント
HITTER鶴さん、おはようございます。

そのお話、面白そうですね。
哲学的なことを採り上げた絵本というのもたまにあるそうですが、
できれば、そのコウモリのお話の様に、ちゃんと物語の中で体験したい。
それに、コウモリやフクロウって、
そういうことで悩みそうですもんね(笑)

余談ですが(最近仏教にハマっているのでお許し下さい)、
仏教の華厳という思想の中核に「一即多」という思想があります。
そこでは、1足す1は2にはならず、
1が二つ集まったものに過ぎない、と考えるそうです。
それが2になるためには、2という数字全体を捉え直さなくてはならず、
そう考えると、1は、1でありつつ2を構成する一要素でもあると。
これが、3、4、5・・・でも同じ様に成り立ち、
その延長で「多」(無限と言ったほうがいいかな?)までいきます。
つまり、1は1でありつつ、無限を構成するために無くてはならない
一要素でもあると。よって「一即多」である、と。
(↑ やや、僕自身の解釈もあり・・・)

「1足す1」で思い出してしまいました。

野望。恐いけれど、魅力的な言葉でもありますね。
世界が平和になる様な野望だと嬉しいのですが・・・(笑)
Posted by sekikawa at 2007.10.08 11:02 | 編集
自己の存在についてとか既成概念に対する疑問といったテーマをいつか絵本にしたいと思っております。実はお話はもうあって、こうもりの子どもが「ぼっくて誰?」と問う話と、「1足す1は本当に2?」というお話で、やっぱり老師のように答えは出さないというか、ないのです。

最近、自分ってとてつもない野望がある、ということに気がついてしまいました。野望達成のため頑張りますです。
Posted by HITTER鶴 at 2007.10.07 21:03 | 編集
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