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2008.03.13

南さん




坊さんの説教によくある(らしい)。

諸法実相、この世の真実は、
全て現時点での、この世の表面に出切っている。
だから、今起こっている現実が、
全てそのままで真実なのだ。
欲を持たず、不平不満を漏らさず、
ありのままで良いではないか、と。


しかし、南さんは、
それではいけないと仰る。
その様に「今のまま、ありのままで良い」
と言っている当の本人は何をしているかと言えば、
ただ坐っているだけなのだ。
つまり、娑婆から離れた所に身を置き、
坐禅して傍観しているだけなのだ、と。

ただ坐って見ているだけならば、
そりゃあ、物事は「ありのまま」に見えるだろう。
空(縁起によって成り立つ世界の在り様)は空と見え、
仮(言語によって仮設された世界の在り様)は
仮として見えるだろう。
そりゃあ、そうだろう、と。

しかし、それだけでは済まされないのが現実だ。
仮であっても、それなりに(かなりの)効力を持ち、
現に多くの人々が、その中に生きて苦しんでいる。
であれば、仮がその様に力を持って機能している構造を、
仏教者は明確に示さなければいけない。
(大抵の坊さんは、その辺りの事を煙に撒く・・・)

諸法がそのままで実相だなんて、
坐ったからこそ言える事ではあるが、
坐ったままの者が言うべき事ではない。
坐禅から立ち上がり、新たに現実を立て直そうとする、
その行為の実践の中にいる者のみが言い得ることである、と。

夏までには『正法眼蔵』の(解釈の)伝統に
真っ向からケンカを売るとのこと。
全く前例のない正法眼蔵解釈の本を出されるとのこと。
私は革命を起こします。伝統を断ち切ります。
私はチェ・ゲバラをやりたいのです(笑)、と南さん。

それにしても、
お坊さんが、ケンカだ革命だなんて・・・
楽しみで仕方がありません。
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