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2008.02.17




十代の後半くらいから、
一貫して好きなものがあります。
「間(ま)」です。


最初のうちは「シンプルなのがいいなー」なんて、
漠然と思っているだけでしたが、
大人になって、もうちょっと言葉にできる様になると、
「間(無いこと)によって、存ることが引き立てられる」と、
理論化&意識化してみたり。

最近になって、読んだ本に、
「生きていることの〈重力〉〈重み〉は、死によってしか発生しない」
なんていう言葉を見つけたりすると、
こりゃ、そのまま言い換えることもできるかなぁって。
「存ることの〈重み〉は、間によってしか発生しない」というふうに。

何かに注意を喚起したいのであれば、
その「何か」の存在しない部分(=間)を、
隣接させることが有効なのではないか、と。

人がものを見る場合、
その視線はおそらく常に「在る」を探します。
本当に何も無いままなら、それは全くの無意味だから、
間もまた「在る」と「在る」のあいだに、
という形でしか存在し得と思います。

だから、
間を発見した視線は、次の瞬間、ほぼ無意識的に
その延長上(にあるはず)の「在る」を探すんじゃないか?
そして、全面的な「在る」よりも、
「無い」との対比としての「在る」の方が、
より強い印象を与えるんじゃないか? と。
(うまく言えないけど・・・)

そんな思いに至るわけです。
この記事へのコメント
calligraphy_mさん、お久しぶりです。

たぶん、自分の中身がスッキリしていないので、
自分の外に、こういうものを求めちゃうんだと思います。

書では、「無い」と「在る」の中間と言ったらいいのか、
滲みの様な表現もあって、さらに複雑化(多様化)するのでしょうか。

いずれにしても、calligraphy_mさんの「葛藤」の結果は、
いつも、とても心地よく拝見させて頂いてまーす。
Posted by ichiro at 2008.02.23 10:53 | 編集
ふむふむ。わかる気がします。
どこまでが「無い」んだろう...とか
ここまでやると「在り」すぎだろう...とか
葛藤してます。
Posted by calligraphy_m at 2008.02.22 23:44 | 編集
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