2008.01.29
2008.01.27
金曜日に、

今月末の発売と聞いていた書籍を、
たまたま立ち寄った書店で見つけたので
即購入しました。
去年から、待ちに待っていた本。
向って右が我が師です(勝手に)。
装丁的には、確かに一目見て「対談」と分かる設え。
だけど、もうちょいさり気ないデザインだったらなぁ・・・
南師の発言より抜粋:
『(前略)僕がとくに禅の言葉にシンパシーを感じるのは、そこに〈ぜったいに閉じさせまい〉という覚悟を感じるからなのです。〈閉じたら駄目だ〉という明らかな意思を感じます。そこが、僕が禅に強く共感するところです。〈閉じる〉というのは、ある問いに対して「答えはこれだ」と一つの答えをポンと出して、問いを塞いでしまうことです。それは、玄侑さんの言葉で言えば〈異界を異界でなくしてしまうこと〉であり、〈わかったことにしてしまうこと〉です。』
まだ前半部しか読んでません。
ゆっくりと少しづつ、
読み進めて(は戻って)いこうと思ってます。
2008.01.24
2008.01.22
2008.01.21
2008.01.20
隙間
2008.01.20
古着

僕にとって、古着の
面白く、かつ不思議なところは、
自分で「あ、これいい!」と思ったものが、
大抵、自分では着れないものであることが多い、ということ。
それは、単にサイズの問題だったり、
(子どもの古着って魅力的なものが多くありません?)
奇抜さの問題だったり、価格の問題だったり、
はたまた性別の問題だったりするのですが(笑)、
本当に惹かれるものは、僕の場合、
自分で着るにはちょっと・・・ なものが多いんです。
そこに、現実と理想のギャップと言うか、
好きであることと、似合うこととの違いと言うか、
考えれば考えるほど、危うい問題が潜んでいそうで・・・(笑)
ということで、先週買った靴。
中古と言っても、ほぼデッドストック(未使用)状態で、
結構しっかりした革なのに、価格はお手頃。
珍しく、惹かれつつも使える、
僕にとっての貴重な一品なのでした。
2008.01.19
月に一度、
仏教の講義を受けています。
昨日の講義で印象的だったのは、
仏教の核心は、経験と言語の「あいだ」にある、
ということ。
もし、誰にも伝えられず、
体験した本人だけのものとして経験があるのなら、
そこに「意味」が生じることはない。
経験は言語化され、他者に伝えられ、
その他者によって了解されてはじめて、
共有的な「意味」として、この世に生み落とされるのだ、と。
(ブッダは菩提樹の下で瞑想を続け、
その結果、覚ったとされていますが、
覚ったその瞬間は、まだ「ブッダ(覚者)」ではなかった。
自分がした体験を意味付け、かつて共に修行した者達に説き、
その中のひとりが、同じく「覚った!」と言った瞬間に、
ブッダは「ブッダという意味」として生み落とされた。)
であるならば、
経験がどの様にして言語化され(意味付けられ)るか、
という、この経験ー言語の「あいだ」こそが重要であり、
仏教の教えは、そこに効いてくる。
ということかな?
やや僕自身の解釈も入っているので
イマイチ信用ならないのですが・・・(笑)
面白かったので、とりあえずメモ。
2008.01.18
2008.01.15
2008.01.14
幸福
2008.01.13
ラスク
2008.01.13
Buta soup
2008.01.12
干し柿
2008.01.11
2008.01.10
2008.01.06
うねり。
2008.01.06
ハット
2008.01.06
2008.01.05
大晦日
2008.01.04
2008.01.04
2008.01.02
新年
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