2008.04.14
2008.04.13
今、
何かの「途中」に自分がいる
という感じが、なんとなくしていて、
文章については、あまり書けないことが多いです。
書いても書いても、
その続きを書かなければいけない様な、
あるいは、また別の側面にも
触れておかなければいけない様な・・・
つまり、
いろいろと考えはしても、
いまひとつ言い切れない状態、
自分の意見を喪失しちゃってる状態(?)です。
でもそれが、その感じが、
自分にとって、とても良いこと(の前兆)でもある様な。
今日の東京は、ちょっと寒いです。
今季はもう終わりかな?と思っていた暖房を、
さっき、またつけたところです。
2008.04.01
誰の存在だって
誰の存在だって 世界では取るに足らないけど
誰かの世界は それがあって 造られる
BUMP OF CHICKEN 『supernova』より
2008.03.24
今朝は寝坊。
かなりギリギリの時間に目覚めたので、寝癖(いつも右側頭部に)直し&セットを一旦はあきらめ、とりあえず洗顔のために鏡に向かう。すると、なんとラッキーなことに寝癖がない!髪を濡らさずセットだけなら何とか間に合うかも知れない!と、すぐさま作戦を変更。ワックスを塗ったくり→服を着替え→水を一杯だけ飲んで→出発!ここまで約10分!とりあえず事なきを得た。が、昼すぎ、会社のトイレにて頭に手を当てた瞬間に発覚。敵(寝癖)は後頭部に・・・
2008.02.17
久しぶりに茂木さん
ジャングルを歩いている。
雨が降ってくる。
近くにあるバナナの葉で
避ける。
そのような一連の流れと、
傘をあらかじめ用意して
おくことは違う。
今朝の茂木さんのブログから早速の抜粋。
「想定外」の入る隙を残しつつ、歩くこと。
自分にとって、今とても必要なことだと思った。
2008.02.06
今朝の雪は、
とてもいい感じだった。(と思う)
傘はささなくても平気、それでいて
チラチラ舞っているのが、ちゃんと見える。
一瞬だったけど、素敵な雪だった。
2008.01.19
月に一度、
仏教の講義を受けています。
昨日の講義で印象的だったのは、
仏教の核心は、経験と言語の「あいだ」にある、
ということ。
もし、誰にも伝えられず、
体験した本人だけのものとして経験があるのなら、
そこに「意味」が生じることはない。
経験は言語化され、他者に伝えられ、
その他者によって了解されてはじめて、
共有的な「意味」として、この世に生み落とされるのだ、と。
(ブッダは菩提樹の下で瞑想を続け、
その結果、覚ったとされていますが、
覚ったその瞬間は、まだ「ブッダ(覚者)」ではなかった。
自分がした体験を意味付け、かつて共に修行した者達に説き、
その中のひとりが、同じく「覚った!」と言った瞬間に、
ブッダは「ブッダという意味」として生み落とされた。)
であるならば、
経験がどの様にして言語化され(意味付けられ)るか、
という、この経験ー言語の「あいだ」こそが重要であり、
仏教の教えは、そこに効いてくる。
ということかな?
やや僕自身の解釈も入っているので
イマイチ信用ならないのですが・・・(笑)
面白かったので、とりあえずメモ。
2007.12.20
ドンと突かれたら、
ドンと突かれたら(例えです)、
同じく、ドンと突き返す。
あるいは、その衝撃に、ただ耐える。
あるいは、泣いて見せる。
今までは、
そんなやり方しか知らなかった様に思います。
でも最近は、そうではない、
全く違った(次元の)捉え方があるのではないか?
そんな気がしています。
2007.12.16
性分
プロレス好きだった友人は、
街で「油断した後ろ姿の人」を見かけると、
後ろからラリアットしてやりたくなる、と言っていました。
バスケ部だった僕は、道を歩いていて、
ちょうどいい高さ(※)にある枝や看板などを見つけると、
ジャンプして、それにタッチしたくなる。
同じく、程よい段差を見つけると、
つま先だけのせて、アキレス腱を伸ばしたくなる。
そんなのって、ありますよね。
※ちょうどいい高さ
思いきりジャンプして届くギリギリの位置。
2007.11.24
一生もの
お店で「これ、一生ものですよ」って、
たまに言われるけど、
その時言ってる「一生」って、
物の一生じゃなくて、僕(買う人)の一生ですよね?
だとしたら、自分が一生付き合う物を
さっき会ったばかりの他人に決められたくはないし、
そもそも、よくそんなこと簡単に口に出せるよな、
と思ってしまう。
